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Fine Stage

8.17 名馬クリフジに乗った幻の騎手

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14日のBS1「戦火のダービー~名馬クリフジに乗った幻の騎手~」から
今年。5月26日、13万人の大観衆を集めた東京競馬場。
そこに臨場した1人として、
身震いするようなダービージョッキーのすごさを感じた。
この番組は、キズナと武豊のクローズアップからはじまった。

1926年青森県八戸の農家に生まれた前田長吉は小さい体ながら、馬に乗ることが巧みで、
夢は東京に出て競馬の騎手になることだった。
名門尾形厩舎の門を叩き、厳しい修行ののち見習い騎手でデビューする。
デビューから勝ち続け、クリフジに乗る幸運を得る。
昭和18年第12回日本ダービーを制したのは、クリフジ。
当時のレコードで6馬身差の完勝劇だった。
見習いジョッキーの前田長吉が20歳と3ヶ月でダービージョッキーとなった。
これは今でも破られていない最年少記録だそうである。
その後クリフジとのコンビで、オークス菊花賞を制覇する(今とは施行時期が違う)。
クリフジは11戦11勝で引退する。主戦はすべて前田だった。


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日本が太平洋戦争に突入していくなか、競馬は中止となり、長吉は満州へ出征することになる。
満州のソ連国境地帯で兵士として戦い、
一平卒として朝早くのラッパ吹きから馬の世話まで何でもいやな顔せずやったという。
終戦後は捕虜となりシベリアへ抑留、ここで歴史上から消えてしまう。

時代は60年をへて、奇跡がおこる。
日本のシベリア遺骨収集団が現地の墓地から埋められていた骨を掘り起こし、
持ち帰った歯のDNA検査をしたところ前田長吉の物とわかった。
帰還兵の記憶からは、強制労働の果て栄養失調で非業の死を遂げたそうだ。
ここに遺骨がふるさと八戸へ帰った。
ダービーを勝った勝負服も遺品として発見され、彼の名誉は後世に語られることとなった。

軍馬として大陸へ送られた馬は30万頭ともいわれる。
番組中、陸軍省は速いサラブレッドは戦争には不向きで、
荷役や酷使に堪える丈夫な馬の評価レースを、競馬会に求めたという。
ジョッキーに極量の65kgの負荷をかけて体力を競わせることを計画させたそうだ。
人も馬も戦争に翻弄された犠牲者だった。
(写真はJRA、NHKよりお借りしました。)
by finestable | 2013-08-17 07:05 | 一般